嬉し恥ずかし海外初体験

 

01E2423 野末晴久

 

 

愛大短期セミナー

僕が中国へ行ったのは2002年夏の愛大の短期海外セミナーだった。僕にとって海外旅行は初めての体験、期待と不安に胸を膨らませて、名古屋空港に向かった。

 

中国上陸

飛行機で二時間、北京に着いた。飛行機から降りると、ギュウギュウ詰めバスでロビーまで運ばれ入国審査を待ったのだが、そこも人がいっぱいだった。中国人のゲートと外国人のゲートを間違え無理矢理並び替えようとしたが、後ろにいた韓国人に英語でむちゃくちゃ悪態をつかれて、しぶしぶ一番最後尾に並びなおした。空港を出て今度はバスに乗り込む。空は快晴!!!を期待していたのだがどんよりと曇っていた。その空がそれからの一ヶ月を暗示しているようで気持ちが暗くなった。

バスに乗り込んだ。空港から北京市外に向かう。乗ってから数分は掘っ立て小屋のような家々が並んでいて中国の貧しさを感じ1人でブルーになっていたのだが、数十分後、そんなもんは吹き飛んだ。何じゃこの高層ビルの群集は!!!…ごめんなさい中国…ちょっとなめてました。やるじゃん!中国!そんな感じだった。これまで書いてきた思考と行動で分かるとおり、僕は、中国に関して全くのド素人だった。恥ずかしい…。

1日目はそのまま大学へ行って、中西さんという愛大の大学院のお姉さんと夕飯を食べ、寮に入った。愛大の寮は大学で一番きれいという十階建ての寮の十階だった。痩せたい人は階段で…。という感じだったが現代っ子の愛大生はみんなエレベーターで十階まで登った。エレベーターでも一驚き。中国のエレベーターって女の人(主におばちゃんしかもいすに座っている)が乗っているのね!その後もおばちゃんはいつも僕たちの前に立ちはだかり乗る度に7と10の発音を直すのだった。このおばちゃんとのいい話があるのだが、それはあとで書くとしよう。

幸か不幸か、寮で同じ部屋になったのは李ゼミの山本光太郎先輩であった。お互い初対面でぎこちなく二言三言交わしただけで床についた。まさかこの大人しそうな兄ちゃんがこんなどうしようもない…もとい、すごい(変な)人だったなんて…その時の僕には思いもよらなかった。そんなこんなで僕の海外旅行1日目は無事に終わったのだった。

 

中国の大学、中国の生活

次の日さっそく試験が行われ、僕と光太郎さんは下から二番目のBクラスになった。Bクラスだったら、授業は楽なのかなあ?なんていう甘い気持ちがあったが…何じゃこりゃ!テキストにピンインがふってないがな!僕のような中国語初心者にとってピンインが無い=死を意味していた。その5日後、粘ってみたものの授業についていけず僕と光太郎さん(もはやセット)は変更期限が過ぎているにもかかわらず(期限を守らないのは得意です)無理言ってクラスを変えてもらうことになった。

話は変わるが、中国の朝は早い。授業は朝の8時には始まるため朝は7時には起きないと…最低7時半には起きなければ朝ごはんが食べられない。中国での生活が始まって数日、もはや夜更かしが定番になっていた僕たちにとって朝7時起きというのは至難の業だった。特に僕と光太郎さんにとっては…。新しくインターナショナルなA+というクラスに入った僕たちが1限終わりがけにこそこそとヒゲダンスをするがごとく小さくなって入っていくのはもはや朝の一風景になっていった。このクラスはいろんな種族の人間が一堂に会したクラスだった。イタリア人、アメリカ人、ドイツ人、韓国人、日本人、グアテマラのおじいちゃんのおばあちゃんなどなど。どの国の人たちも一生懸命勉強していた。外国の人たちは学ぼうとする意欲が強く、質問もばんばんしていた。それを見ていると僕も含めて日本人はちょっとしりごみというか気後れしているように思えた。今思うとそれだけがこのセミナーで唯一にして最も悔いの残る部分だったような気がする。どんな言葉でも大事なのはあっている間違っているではなく、一生懸命とにかく話してみることだ。それだけが悔しかった。そして、もっと話せるようになりたいと思った。

大学の授業は午前で終わるので午後はもっぱら観光になった。万里の長城では兵士のような格好をしたおっちゃんにいきなり戦いを挑まれたので、鶴のポーズで対抗した。何しろ北京の観光名所は広い!いわえんは一日じゃ全部回りきらんし、北京動物園も1日歩き回ってくたくたになった。長い間おなかを壊しトイレの番人と化していた僕にとっては、非常に苦しかった。でも、でかさも魅力で、日本ではありえないようなものばかりで、素敵だった。今度はもっと余裕があるときに行きたいな。

 

とってもおいしいね!

留学中、僕はある食べ物に夢中になった。それは北京ダックだ。この留学体験記を書くにあたりそれだけはしっかり抑えておかなくては。どのくらいすきかと言うと王府井で「北京ダックとってもおいしいね!」と歩きながら中国語で大声で言ってしまうほどだった。王府井といえば、北京の新宿と申しましょうか、とてもきれいなとこだったのだが、その中にわけのわからんことを大声で叫んでいる日本人二人…。皆しっかりと僕たちに冷たい視線を浴びせてくれた。しかし、北京ダックは本当においしい。グリルされいい色になった鳥さんを料理人が目の前で切り落としていく。最初は皮のみをモチモチの生地にはさんで薬味とともにいただく。口の中いっぱいに広がる鳥の旨み、香ばしい香り、僕はめろめろになった。その後、肉も一緒にいただいていくのだが肉から染み出る肉汁にもまた感激。大満足だった。最終日にも友達とふたりで食べに行き、とても満足だった。

 

エレベーターおばちゃん

ここでエレベーターのおばちゃんの話をしよう。このおばちゃんは下から上に行くとき、どの階で降りるのかを聞いてボタンを押してくれる親切なおばちゃんだが、僕がいつも10階と言っとるにもかかわらず、7階を押しやがる。でもこのおばちゃんほんとに親切でちゃんと発音して教えてくれた。それにもかかわらずだめな僕はしばしば7階を押され、知らない人がいる時訂正するのは恥ずかしいので、7階で下り階段で10階まで駆け上がるのだった。何がともあれ、この親切なおばちゃんを利用しない手はないと思った僕は、毎日1つづつ習う文章でおばちゃんに話し掛けることにした。「体の調子はどうですか?」とか、「お疲れ様です」とか簡単な一言文章だったが、おばちゃんもいろんな返事を返してくれた。いつも最後に言う言葉が「もっと勉強しなさい」だった。そういわれ、僕が悔しがっているのを見て嬉しそうに笑うおばちゃんを見るとなぜか僕も嬉しくなった。おばちゃんは最後の一週間前くらいにいなくなってしまったけど、またどこかの大学で外国人留学生が言う7と10の発音を直しているに違いない…。

 

出会いそして別れ

 最後に忘れてはいけないセミナーの仲間の話をして、この留学体験記を締めくくろうと思う。まあ光太郎さんのことをいまさら話す必要も無いが、光太郎さんは僕が李ゼミに入る事を進めてくれたし、生活の面ではいろんなことに気を使ってくれた。これだけ気を使える人はなかなかいない。それを考えると、僕なんかまだまだ気を使えないし、すぐ不満を言ってしまったりした。同室に大人な人がいてすごく勉強になった。光太郎さんをはじめ、皆目的意識をもってセミナーに参加していて、互いに高めあえる存在だった。トランプをして夜中まで遊んだり、たまにはまじめに将来の自分について語り合ったり、現中の子に発音や中国のことを色々聞いたり。これほど濃い一ヶ月を共に過ごせる仲間はそうめったにいない。そういう仲間に出会えただけでも、このセミナーに参加した意味があったのではないだろうか。ビバ!中国!ありがとう!中国!今度は勉強していきたいと思う。